介護生活を終えて2年経ち、父の三回忌でした

日々の暮らし

一昨日は父の命日で、今年の命日は三回忌に当たるため

実家に帰り、三回忌のお線香をあげてきました

翌日、私は定休日だったので

父の好物をそろえて待っていてくれた兄と一緒に

思い出話に花を咲かせ一晩実家に泊って

ゆっくり過ごしてきました

こういった宗教的な故人を偲ぶと言うか、送るような行事は

宗教や宗派によっても違いますし

宗教観、宗教との付き合い方にも様々なので

遺された者がどのように執り行っていくのかは

悩ましい問題だと思います

時代も違いますが

父は祖母や母を見送った後

お盆やお彼岸などの機会があれば墓参りにも行き

○○回忌と言った法要も

日が浅いうちは、しっかり法事の席を設けてやっていたと記憶している

晩年の父は

「骨は海に撒いてくれ」

「骨になったら、その辺に放ったらかしておけ」等と言って

最初はどう答えて良いのか分からない事を言って私を困らせていました

そんな会話も繰り返されると慣れてくるもので

「遺骨は海に撒いてくれ」と言う父には

「そんなに海が好きなの?石原裕次郎じゃないんだから、似合わないよ」と返し

「遺骨は放ったらかしておけ」と言われれば

「どこの誰だか分からなくなったジジイの骨が放ったらかされてたら

近所に変死体が転がってるのと同じで気持ち悪いだろ」と返して

「無理のない範囲で質素にやって上げるから

そんな憎まれ口を聞いてないで安心して暮しててくれ」

「まあ、あの世で祖母や母に会ったらこっぴどく叱られそうで

どうしても嫌だっていうなら俺は相談に乗るけどな」等と

笑いながら詰めたく突き放出来るようになっていました

そんな葬儀を終えて遺骨になった時の会話ばかりでなく

思い出せば

入院をした際に必要なものや差し入れを私が用意した時も

老人ホーム入所してからも費用のことを心配し、

自宅でヘルパーさんにお願いしたらお金がかからないだろう?

(介護で来てくれるお手伝いさんと言っていましたが・・・・)

父の言葉は

遺された子供たちに迷惑をかけたくない気持ちでいっぱいだったのだと思います

遺された息子たちも

父は質素に送られたい

我々に迷惑をかけたくない

という気持ちだったという共通認識だったので

一連の葬儀も家族葬で質素に済ませ

一周忌も家族で(と言っても兄弟二人ですが)顔を合わせ

お線香をあげる程度で済ませています

それが私たちが選択した故人の偲び方でした

法要や年忌などのことは詳しくはわかりませんが

生前の両親や祖母も

今になって、子供ながらに生活を共にしてきた頃を思い起こせば

家族が健康で楽しく暮らしていけている事を大切にして

日々の生活を営み、私たちを育ててくれてきたのだと思います

祖父母の世代の過ごし方、両親の世代の過ごし方

そして現在の我々の過ごし方

もっともっと前の世代から

色々なものが時代とともに少しずつ変わって来ています

故人となった家族を偲ぶ気持ちの表し方、過ごし方とでもいうのでしょうか

時代と主に変化しているし、個人の価値観も多様化しているので

いろいろな話を耳にする機会も多いのですが

故人の気持ちに正直に、そして自分の気持ちに正直に向かい合いながら

故人と過ごした時間を思い出し、懐かしむ事こそが良いのではないかと思います 

父の三回忌もなんとか終わり、今の生活にも慣れてきたので

父と歩んできた 老いて介護と向き合う父の生活

そしてそれを見守る息子の生活を

少しずつまとめていこうかとちょっと思ったりしています

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